西村茂樹

西村茂樹

概要

 西村茂樹(にしむらしげき)文政十一年戊子(つちのえね25)三月一日(1828年4月26日)生誕 – 明治三十五(1902)年八月十八日薨去(七十四歳)は、啓蒙思想家、教育者、文学博士。道徳振興団体「日本弘道会」創設者。号は泊翁。

経歴

 文政十一年戊子(つちのえね25)三月一日(1828年4月26日)に西村茂樹は江戸の佐野藩邸で佐倉藩支藩の佐野堀田家に仕える側用人(そばようにん)の父・西村芳郁の子として誕生する。通称は平八郎、名は芳在、後に茂樹と改める。

 西村は十歳で佐倉藩の藩校の成徳書院(現、千葉県立佐倉高等学校の前身)に入り、藩が招いた安井息軒から儒学を学ぶ。嘉永三年(1850年)に大塚同庵(おおつかどうあん)から砲術を学ぶ。翌年、佐久間象山から砲術を学ぶ。

安井息軒
佐久間象山

 嘉永六年六月三日(1853年7月8日)にマシュー・ペリー率いるアメリカ海軍東インド艦隊の艦船4隻が浦賀沖に来航する。西村は黒船来航に驚き、下総国佐倉藩五代藩主・堀田正篤に意見書を提出する。老中首座の阿部正弘には海防策を献じた。安政三年十月十七日(1856年11月14日)に堀田正篤改め正睦が老中首座兼外国御用取扱に就く。西村は貿易取調御用掛に任じられ、外交上の機密文書を担当する。

マシュー・ペリー
堀田正睦

 明治維新の明治六年(1873年)に福沢諭吉、森有礼、西周、中村正直、加藤弘之らと啓蒙活動を目的として明六社を結成する。

福沢諭吉
森有礼
西周
中村正直
加藤弘之

 明治八年(1875年)から天皇、皇后の進講を約10年間務める。華族女学校の校長を務める。文部省編輯局長として教科書の編集や教育背戸の確立に尽力する。修身の必要性を訴え、明治九年(1876年)に修身学社(現、社団法人日本弘道会)を創設する。

 明治二十年(1887年)に西村の主著として知られる『日本道徳論』を刊行する。西村の思想は「伝統的な儒教を基本としてこれに西洋の精密な学理を結合させるべきと説き、国家の根本は制度や法津よりも国民の道徳観念にあるとして勤勉、節倹、剛毅、忍耐、信義、進取、愛国心、天皇奉戴の8条を国民像の指針」である。

 明治三十五(1902)年八月十八日に西村茂樹は薨去。七十四年の生涯を終えた。

著作

日本道徳論 (岩波文庫)


三国志演義 第一巻
三国志演義 第二巻
三国志演義 第三巻
三国志演義 第四巻
三国志演義 第五巻
三国志演義 第六巻
三国志演義 第七巻
三国志演義 第八巻
三国志演義 第九巻
三国志演義 第十巻
三国志演義 Ⅰ

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