上杉斉憲

上杉斉憲

概要

 上杉斉憲(うえすぎなりのり)文政三年庚辰(かのえたつ17)五月十日(1820年6月20日)生誕-明治二十二(1889)年五月二十日薨去(六十八歳)は、江戸時代末期の出羽国米沢藩十二代藩主。

経歴

 文政三年庚辰(かのえたつ17)五月十日(1820年6月20日)に上杉斉憲は米沢藩十一代藩主の父・上杉斉定と畠山義周の娘の母の長男として誕生する。

 天保七年十月二十三日(1836年12月1日)に従四位下、侍従兼式部大輔に叙任する。天保十年四月三日(1839年5月15日)に家督を継ぐ。

 安政六年(1859年)に斉憲は種痘を藩内に推奨する。文久三年(1863年)年に十四代将軍徳川家茂の京都上洛に御供して二条城を警護した。元治元年五月一日(1864年6月4日)に従四位上に昇叙する。左近衛権中将兼弾正大弼如元となる。

徳川家茂

 斉憲は藩政改革に努め軍隊の洋式訓練方法を取り入れるなど、藩政に大きな成功を収め、慶応二年(1866年)にこの功績を賞され3万石の加増を受ける。開明的な人物で開国にも積極的だった。

 慶応四年一月二日(1868年1月25日)夕方に幕府の軍艦2隻が兵庫沖に停泊していた薩摩藩の軍艦を砲撃する。事実上戊辰戦争が開始した。

 当初、斉憲は新政府の意向に従って恭順を考えていた。しかし仙台藩と共に奥羽越列藩同盟の盟主となり、新政府軍と戦った。米沢軍は一時、新政府軍を圧倒したが、新発田藩の寝返りもあり新政府軍の猛攻を受け敗走した。斉憲はやむなく新政府軍に降伏する。

 明治元年十二月七日(1869年1月19日)に家督を長男の成憲に譲り隠居する。明治二十二(1889)年五月二十日に上杉斉憲は薨去。六十八年の生涯を終えた。


三国志演義 第一巻
三国志演義 第二巻
三国志演義 第三巻
三国志演義 第四巻
三国志演義 第五巻
三国志演義 第六巻
三国志演義 第七巻
三国志演義 第八巻
三国志演義 第九巻
三国志演義 第十巻
三国志演義 Ⅰ

土地建物無料査定

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA