久世広周

久世 広周

概要

 久世広周(くぜひろちか)文政二年己卯(つちのとう16)四月十二日(1819年5月5日)生誕-元治元年六月二十五日(1864年7月28日)逝去(四十五歳)は、江戸時代末期の下総関宿藩主。老中。

経歴

 文政二年己卯(つちのとう16)四月十二日(1819年5月5日)に久世広周は旗本の大草高好(おおくさたかよし)の次男として誕生する。文政十三年十月十二日(1830年11月26日)に広周が十一歳のとき関宿藩主久世広運(くぜひろたか)の末期養子(まつごようし)として家督を継ぐ。天保三年十月一日(1832年10月24日)に十一代将軍徳川家斉に拝謁する。

関宿城
徳川家斉

 嘉永四年十二月二十一日(1852年1月12日)に広周は老中に就任する。老中首座の阿部正弘らと共に諸外国との折衝に当たる。

阿部正弘

 井伊直弼が大老となり、一橋派への弾圧が始まる(安政の大獄)。広周は直弼の強圧的な処罰方針に老中の中でただひとり反対した。安政五年十月二十七日(1858年12月2日)に広周は直弼の怒りを買って老中を罷免される。

井伊直弼

 安政七年三月三日(1860年3月24日)に井伊直弼が桜田門外で暗殺される。万延元年閏三月一日(1860年4月21日)に広周は老中の安藤信正の推挙を受けて再度老中に就任する。信正と共に公武合体政策を推進した。

安藤信正

 万延元年四月二十八日(1860年6月17日)に広周は老中首座に就く。政情不安が進む政局の安定化に努める一方で、長州藩士の長井雅樂による「航海遠略策(こうかいえんりゃくさく)」の支援なども行なう。

長井雅樂

 文久二年一月十五日(1862年2月13日)に老中の安藤信正が尊攘派の水戸浪士6人に襲撃され負傷する(坂下門外の変)。安藤は老中を罷免される。文久二年六月二日(1862年6月28日)安藤の連座および安政の大獄で井伊直弼の暴挙を止められなかったことと、公武合体または外交方針である航海遠略策の失敗などの責任を問われ、老中を罷免され失脚する。

 文久二年十一月二十日(1863年1月9日)に永蟄居を命じらる。元治元年六月二十五日(1864年7月28日)に久世広周は逝去。四十五年の生涯を終えた。

伝記・評伝

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