今北洪川

今北洪川

概要

 今北 洪川(いまきた こうぜん)文化十三年丙子(ひのえね13)七月十日(1816年8月3日)生誕-明治二十五(1892)年一月十六日逝去(七十五歳)は、江戸時代末期から明治時代の臨済宗の僧侶。幼名は真三郎、法諱は宗温、道号は虚舟、室号は蒼龍窟。

経歴

 文化十三年丙子(ひのえね13)七月十日(1816年8月3日)に摂津国(現、大阪府西成群福島村)に誕生しました。

 若年のとき、儒学者の藤沢 東畡(ふじさわ とうがい)に入門し儒学を学びました。また、漢詩人の広瀬 旭荘(ひろせ ぎょくそう)から詩文を学びました。大坂中島(中之洲)に私塾を開きましたが、『禅門宝訓』を読んだことが機縁となり、出家を決意しました。妻淺子と離縁し、天保十一年(1840年)に京都の相国寺で大拙承演 (だいせつじょうえん) に師事し、出家しました。そして僧堂で参禅を続けました。

相国寺

 天保十三(1842)年四月洪川、二十五歳のときに大悟(だいご)し、大拙に認められました。弘化四年(1847年)に備前国(現、岡山県)の曹源寺(そうげんじ)の儀山善来(ぎさん ぜんらい)和尚のもとに参じました。安政二年(1855年)に大拙が示寂(逝去)。安政五年(1858年)より岩国の永興寺(ようこうじ)の住職となり、周防国岩国領主の吉川 経幹(きっかわ つねまさ)のために文久三(1862年)に『禅海一瀾』を著作しました。

岩国城
吉川 経幹

 明治八年(1875年)に鎌倉円覚寺の管長に抜擢されました。雲水のみならず、一般大衆に対する禅指導を行いました。山岡鉄舟や鳥尾得庵などの著名人が参禅しました。弟子は、釈宗演や鈴木大拙などがおります。

鎌倉円覚寺
山岡鉄舟
釈宗演
鈴木大拙

 明治十一年(1878年)に儀山善来和尚が示寂。明治十六年(1883年)に京都妙心寺の越渓守謙より釈宗演を徒弟として譲り受けました。明治二十五(1892)年一月十六日に今北洪川、示寂。七十五年の生涯でした。

京都妙心寺

伝記・評伝

【復刻版】鈴木大拙「今北洪川ー激動期明治の高僧」ー続禅選集4 (響林社文庫)

鈴木大拙禅選集〈10〉激動期明治の高僧 今北洪川


三国志演義 第一巻
三国志演義 第二巻
三国志演義 第三巻
三国志演義 第四巻
三国志演義 第五巻
三国志演義 第六巻
三国志演義 第七巻
三国志演義 第八巻
三国志演義 第九巻
三国志演義 第十巻
三国志演義 Ⅰ

土地建物無料査定

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA