ウィリアム・スミス・クラーク

ウィリアム・スミス・クラーク

概要

 ウィリアム・スミス・クラークWilliam Smith Clark)1826年丙戌(ひのえいぬ23)7月31日生誕- 1886年3月9日逝去(59歳)は、アメリカの教育者。農学教育者。

ウィリアム・スミス・クラーク

経歴

 1826年丙戌(ひのえいぬ23)7月31日にウィリアム・スミス・クラークはマサチューセッツ州アッシュフィールドで医師の父・アサートン・クラークと母・ハリエットの子として誕生する。

 ウィリストン神学校で教育を受け、1844年にアーマスト大学に入学する。1848年に同大学卒業する。1848年から1850年にウィリストン神学校で化学の教師となる。その後ドイツのゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲンへ留学して化学と植物学を学ぶ。1852年に同大学で化学の博士号を取得する。

                アーマスト大学
ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲン

 1863年にマサチューセッツ農科大学(現、マサチューセッツ大学アマースト校)が設立され、クラークは第3代学長に就任する。アマーストにある私立大学のアマースト大学では化学を教えた。

 アマースト大学の教え子に、同志社大学の創始者の新島襄がいた。この縁でクラークは来日して明治九年(1876年)に開校した札幌農学校の教頭に就任する。

札幌農学校

 クラークはマサチューセッツ農科大学のカリキュラムをほぼそのまま札幌農学校に移植して、諸科学を統合した全人的な言語中心のカリキュラムを導入して学生を鼓舞、激励した。

 クラークは9ヶ月の札幌滞在の後、明治十(1877)年五月に札幌農学校1期生と札幌郡月寒村島松駅逓所(現、北広島市島松)で別れて「Boys, be ambitious(少年よ、大志を抱け)」の言葉を1期生に送り離日した。

              島松駅逓所

 アメリカに帰国後はマサチューセッツ農科大学の学長を辞めて出資者を募り知人と共に鉱山会社「クラーク・ボスウェル社」を設立した。知人の横領で設立から1年半で破産する。

 1886年3月9日にウィリアム・スミス・クラークは逝去。59年の生涯を終えた。

伝記・評伝

クラーク先生とその弟子たち (1973年)

クラーク先生とその弟子たち

W.S.クラーク―その栄光と挫折


三国志演義 第一巻
三国志演義 第二巻
三国志演義 第三巻
三国志演義 第四巻
三国志演義 第五巻
三国志演義 第六巻
三国志演義 第七巻
三国志演義 第八巻
三国志演義 第九巻
三国志演義 第十巻
三国志演義 Ⅰ

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