正親町三条実愛

正親町三条実愛

概要

 正親町三条実愛(おおぎまちさんじょうさねなる)文政三年辛巳(かのとみ18)十二月五日(1821年1月8日)生誕-明治四十二(1909)年十月二十日薨去(八十八歳)は、江戸時代末期から明治期の公卿。政治家。維新後、嵯峨実愛と改名する。

経歴

 文政三年辛巳(かのとみ18)十二月五日(1821年1月8日)に正親町三条実愛は父・正親町三条実義(おおぎまちさんじょうさねよし)と信濃松本藩七代藩主の松平光年(まつだいらみつつら)の娘の母・松姫の子として誕生する。実愛は嘉永元年(1848年)に従三位参議となって公卿に列した。

 老中の堀田正睦は目付岩瀬忠震を伴い、安政五年二月五日(1858年3月19日)に入京し朝廷に対し条約勅許に尽力したが、同年三月十二日(同年4月25日)実愛や岩倉具視など中級、下級公家88人が抗議の座り込みを行うなど攘夷派の公家が抵抗した(廷臣八十八卿列参事件:ていしんはちじゅうはちきょうれっさんじけん)。孝明天皇は同年三月二十日(同年5月3日)に勅許を拒否する。

岩倉具視
孝明天皇

 実愛は薩摩藩が主導する公武合体運動を支持しており、「航海遠略策」に賛同したため尊王攘夷派の志士から敵視された結果、文久三年(1863年)に失脚する。

 文久三年八月十八日(1863年9月30日)に孝明天皇、会津藩、薩摩藩など幕府への攘夷委任(通商条約の破棄、再交渉)を支持する勢力が攘夷親征(過激派主導の攘夷戦争)を企てる三条実美ら急進的な尊攘派公家と背後の長州藩を朝廷から排除した政変が起きる(八月十八日の政変)。

 八月十八日の政変により朝廷に復帰した実愛は、薩摩藩に接触して討幕派公卿の一人として朝廷を主動した。明治元年(1868年)新政府の議定に就任する。

 明治四十二(1909)年10月20日に正親町三条実愛は薨去。八十八年の生涯を終えた。

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