塩谷宕陰

塩谷宕陰

 塩谷宕陰(しおのやとういん)文化六年己巳(つちのとみ6)四月十七日(1809年5月30日)生誕 – 慶応三年八月二十八日(1867年9月25日)逝去(五十八歳)は、江戸末期の儒学者。名は世弘、字は毅侯、別号は九里香園、悔山、晩薫廬。

経歴

 文化六年己巳(つちのとみ6)四月十七日(1809年5月30日)に塩谷宕陰は江戸愛宕山下で誕生する。文政七(1824)年に昌平坂学問所(しょうへいざかがくもんじょ)に入門する。松崎 慊堂(まつざき こうどう)の私塾で慊堂から考証学(こうしょうがく)を学ぶ。

昌平坂学問所
松崎 慊堂

 宕陰は遠江国掛川藩主の太田氏に仕える。嘉永六年六月三日(1853年7月8日)にアメリカ東インド艦隊が浦賀に入港した。ペリー来航に際し幕府に海防論を献策する。

ペリー艦隊

 文久二(1862)年に宕陰は昌平坂学問所教授に抜擢される。越後長岡藩藩士の河合継之助は宕陰の紹介状を持って備中松山藩の山田方谷を訪ね、修養に励む。慶応三年八月二十八日 (1867年9月25日)に塩谷宕陰は五十八年の生涯を終えました。

河井継之助
山田方谷

著作

丕揚録・公徳弁・藩秘録 (1971年) (日本史料選書〈7〉)


三国志演義 第一巻
三国志演義 第二巻
三国志演義 第三巻
三国志演義 第四巻
三国志演義 第五巻
三国志演義 第六巻
三国志演義 第七巻
三国志演義 第八巻
三国志演義 第九巻
三国志演義 第十巻
三国志演義 Ⅰ

土地建物無料査定

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA