間部詮勝

間部詮勝

概要

 間部詮勝(まなべあきかつ)文化元年甲子(きのえね1)二月十九日(1804年3月30日)生誕-明治十七(1884)年十一月二十八日逝去(八十歳)は、江戸時代後期の大名。越前鯖江藩第七代藩主。間部家八代。老中首座。

経歴

 文化元年甲子(きのえね1)二月十九日(1804年3月30日)に間部詮熙(まなべ あきひろ)の五男として江戸の鯖江藩邸で誕生する。幼名は鉞之進(えつのしん)。

 文化十一年(1814年)に間部は鯖江藩主となり、十一代将軍の徳川家斉の側近として奏者番(そうじゃばん/そうしゃばん)、寺社奉行、大坂城代、京都所司代などを歴任した。天保十一年(1840年)に家斉の推薦で西ノ丸老中となったが、水野忠邦に奢侈好みだった家斉の最晩年の側近だったと疎まれ、天保十四年(1843年)に老中を辞任する。

11代将軍 徳川家斉
水野忠邦

 安政五年六月(1858年7月)に間部は南紀派の大老井伊直弼の下で再び老中に復帰し、財政を担当する勝手御入用掛と外交を担当する外国御用取扱を兼務した。その後、勝手掛老中に上る。間部は一橋派や尊王攘夷派を弾圧する安政の大獄を進めた。こうした動きに対し、吉田松陰は間部の暗殺を企てる。

大老 井伊直弼
吉田松陰

 安政六年三月(1859年4月)に江戸に戻ると井伊直弼と対立するようになる。条約の勅許を得るといった成果をあげたことで、間部は幕政の主導権を握ろうとした。その結果、同年十二月(1860年1月)に免職となる。間部詮勝は明治十七(1884)年十一月二十八日逝去。八十年の生涯を終えた。

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