世界の偉大な経済学者8人による恐慌回避策

8人の経済学者の人物の概要と経歴。恐慌回避のヒントを考える。

はじめに

 経済学は今から244年前(2020年5月19日現在)アダム・スミス (Smith, Adam 1723.6.5 生 スコットランド 1790.7.17没 の主著「国富論((An Inquiry into the Nature and Causes of the  Wealth of Nations 1776)に書かれた言葉、「神の見えざる手によって社会の富の生産と分配が決定する」という自由主義の思想から始まりました。

 アダム・スミスの後に、「近代経済学の創始者」として評価されている、デヴィッド・リカード( David Ricardo)が経済学の基礎を築きました。自由貿易を擁護する理論を唱え、主著として「『Principles of Political Economy and Taxation』(1817年、『経済学および課税の原理』)を国富論公刊の41年後に出版しました。

 「国富論」から91年後、『経済学および課税の原理』から50年後、カール・マルクス(Marx, Karl Heinich 1818.5.5生 ドイツ トリール  1883.3.14没 ロンドン)が「資本論(Das Kapital 1867)」第1巻を刊行しました。マルクスの死後、朋友のエンゲルスに引き継がれ、「マルクス経済学」を確立しました。

 マルクスの「資本論」と同時代に、フランス生まれのマリ・エスプリ・レオン・ワルラス( Marie Esprit Léon Walras )が古典経済学を理論化した主著「『純粋経済学要論』(Eléments d’économie politique pure, ou théorie de la richesse sociale)上巻が1874年に出版しました。ワルラスはマルクスの16歳年下でした。同時代に「近代経済学の祖」と「マルクス経済学の祖」が生きていました。ヨーゼフ・シュンペーターはワルラスを「すべての経済学者の中で最も偉大」と評しました。

 1929年のニューヨーク株式市場の大暴落をきっかけに世界恐慌が起こりました。マルクスの「資本論」の刊行からから69年後、ケインズ(Keynes,John Maynard 1883.6.5生 ケンブリッジ 1946.4.21没)が主著、「雇用・利子および貨幣の一般理論(The General Theory of Employment,Interest and Money 1936)を公刊しました。新古典派経済学では解決できなかった世界恐慌脱出の処方箋として「国家が経済への介入が必要である」と、ケインズは主張しました。

 マルクスが亡くなった1883年に、シュンペーターが2月8日に誕生し、ケインズが6月5日に誕生しました。この偶然性は、「セレンディピティ(英語: serendipity)」を感じさせます。1929年の世界経済は世界大恐慌と現在呼ばれております。恐慌の解決策の処方箋として、ケインズは、「有効需要の創出」。シュンペーターは、「イノベーション」の必要性を説きました。シュンペータの考えは現在の経営学に引き継がれております。

 第二次世界大戦後、アメリカとソ連の冷戦状況が1991年のソ連の崩壊まで続きました。覇権国家となったアメリカは順調に経済成長を達成しました。しかし1971年8月にニクソン米大統領は一律10%の輸入課徴金設定とドルの金交換停止を柱とする緊急経済政策を発表しました。「ニクソンショック」または「ドルショック」と呼称され、対米依存の日本に打撃を与えました。

 1985年9月22日にニューヨークのプラザホテルで開催された先進5か国会議(G5)でドル高是正の合意が決議されました。プラザ合意によって、1980年代後半の日本経済は不動産価格の上昇と株価の上昇が起きました。1989年12月29日の大納会の日に日経平均株価は38,915円の史上最高値を付けました。翌年1990年1月から株価が大暴落し、不動産価格も暴落しました。これは「バブル崩壊」と呼ばれ、日本経済の凋落を意味しました。1997年に金融危機が起こり、1997年11月17日に北海道拓殖銀行が経営破綻、11月24日には山一証券が廃業しました。その後、金融再編が進みました。

 2001年9月11日にアメリカはイスラム過激派組織による同時多発テロの犠牲になりました。2003年3月20日にジョージ・Wブッシュ大統領がイラク侵攻を表明しました(イラク戦争・第二次湾岸戦争)。この戦争経済でNYダウ平均株価を押し上げました。これに追随して日経平均株価も上昇しました。

 2008年9月15日にアメリカの投資銀行のリーマン・ブラザーズが経営破綻しました。いわゆるリーマン・ショックです。2008年10月28日に、日経平均株価が6,994円の底値を付け、2009年3月9日にNYダウは6,440ドルの底値を付けました。世界経済は金融緩和政策による景気回復を処方箋としました。

 1990年代から中国は驚異的な経済発展を成し遂げました。現在、アメリカと覇権争いをしている国家が中国です。2017年1月20日、第45代アメリカ大統領にドナルド・トランプが就任しました。アメリカは対中国貿易で膨大な赤字がある事を問題にして、習近平国家主席と貿易不均衡問題について首脳会談を重ねました。2019年には事態が深刻化して「米中貿易戦争」と呼称されました。2020年1月15日に両首脳は米中貿易協定に署名しました。

 2019年11月22日、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行が中華人民共和国湖北省武漢市から発生しました。「原因不明のウイルス性肺炎」として最初の症例が確認されて以降、世界的に感染拡大が広がりました。2020年2月、トランプ大統領と習近平国家主席は新型コロナウイルスの感染流行による問題を電話会談で協議しました。3月27に両首脳は新型コロナウイルス対策で緊密に連携することで合意しました。

 1929年の世界恐慌から91年が過ぎました。大きな景気循環は60年から90年に一度のサイクルで出現するという景気循環論があります。今回の新型コロナウイルスによる恐慌局面はこの景気循環の90年サイクルの波として考えた場合、経済学の新理論の登場によって、解決の道が開かれるのではないでしょうか。

 本書はアダム・スミス、デヴィッド・リカード、カール・マルクス、レオン・ワルラス、ジョン・メイナード・ケインズ、ヨーゼフ・シュンペーター、ジョン・K・ガルブレイス、ポール・A・サミュエルソンの8人の大経済学者の人物像の概要と経歴と著作を紹介しております。彼らを研究する事により、現代の混迷する世界経済危機のヒントになれば幸いです。

アダム・スミス(Adam Smith)

概要

 アダム・スミス(Adam Smith、1723(享保8)年 癸卯(みずのとう40)6月5日生ー1790(寛政2)年 庚戌(かのえいぬ47)7月17日没(67歳)は、イギリスの哲学者、倫理学者、経済学者です。スコットランド生まれ。主著に倫理学書『道徳感情論1759』・経済学書『国富論1776』があります。経済学の祖と言われております。

経歴

 アダム・スミスは1723年にスコットランドの海沿いの町カコーディに生まれました。

 1751年にグラスゴー大学の論理学教授に就任し、翌年道徳哲学教授に就任しました。1750年頃に哲学者ヒュームと出会い、彼が他界する1776年まで親交を続けました。

グラスゴー大学 出典 ウィキペディア

 1763年にグラスゴー大学を辞職しました。辞職後、スコットランド貴族ヘンリー・スコットの家庭教師として、およそ3年間フランスやスイスを旅行しました。

 1776年に主著『国富論(An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations 1776』を出版しました。その後1778年に、スコットランド関税委員に任命され、1787年にはグラスゴー大学名誉総長に就任しました。

 スミスは1790年にエディンバラで67歳で病死しました。生前「法と統治の一般原理と歴史」に関する書物を出す計画がありましたが、死の数日前に友人に命じてほぼ全ての草稿を焼却させてしまいました。。焼却されずに残った草稿はスミスの死後、『哲学論文集1795』として出版されました。1895年にはグラスゴー大学時代の学生がとった講義ノートが見つかっており、『法学講義』として後に公刊されました。

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著作

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デヴィッド・リカード( David Ricardo)

概要

 デヴィッド・リカード( David Ricardo、1772(明和9)年 壬辰(みずのえたつ29)4月18日ー1823(文政6)年生 癸未(みずのとひつじ20)9月11日没(51歳)は、自由貿易を擁護する理論を唱えたイギリスの経済学者です。各国が比較優位に立つ産品を重点的に輸出することで経済厚生は高まる、とする「比較生産費説」を主張しました。アダム・スミス、カール・マルクス、ケインズと並ぶ経済学の黎明期の重要人物とされるが、その中でもリカードは特に「近代経済学の創始者」として評価されていおります。

経歴

 リカードは17人兄弟の3番目としてロンドンで生まれました。彼の家はスペイン系およびポルトガル系のユダヤ人で、彼が生まれるほんの少し前に、オランダからイギリスへ移住して来ました。14歳のとき、リカードはロンドン証券取引所で父親エイブラハム・リカード仕事を手伝いました。21歳のとき、リカードは家族の正統派ユダヤ教の信仰を拒絶し、クエーカー教徒のプリシラ・アン・ウィルキンソンと駆け落ちしました。これによって父親から勘当されることになり、ケンブリッジ大学を中退して、自ら株式仲買人として独立することになりました。

ロンドン

 リカードは証券取引所で成功して彼を裕福になり、42歳となった1814年に仕事を引退しました。1819年にはアイルランドの都市選挙区であるポーターリングトンから庶民党(下院)に出馬、当選して代議士として自由貿易を主張し、また、穀物法の廃止を主張しました。

 1821年にはトーマス・トゥックやジェームス・ミル、トマス・ロバート・マルサスやジェレミ・ベンサムなど著名な経済学者とともに、政治経済クラブの設立に尽力しました。

 リカードは、ジェームズ・ミルの親友であり、ミルは彼に政治への大志や経済学の著述を勧めました。他の著名な友人の中にマルサスやベンサムがおります。死の10日前、論敵でもあったマルサスに対して手紙で「議論が私たちの友情を決して傷つけなかった。君が私の説に賛成してくれたとしても、そのことで今以上にあなたを好きになることはありません」と記しております。

 1823年、耳の伝染病のため51歳で急逝、遺産として7500万ポンド(約150億円)を残しました。

思想

 リカードは、1799年にアダム・スミスの『国富論』を読み、経済学に興味を持つようになりました。1797年にイングランド銀行が金本位制を停止し不換紙幣の増発からインフレーションを招くことになり、これについて1810年にリカードは『白石高騰について–紙幣暴落の証明』という小論を発表、貨幣数量説に立って金本位制への復帰を主張しました。

 日本を代表する経済学者である森嶋道夫は経済学史における「特別な巨人」としてアダム・スミス、リカード、カール・マルクス、ケインズの四人を挙げているが、特にリカードを「近代経済学の父」として評価しております。

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著作

『Principles of Political Economy and Taxation』(1817年、『経済学および課税の原理』)

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カール・マルクス( Karl Marx)

概要

 カール・マルクスKarl Marx, 1818(文化15・文政元)年 戊寅(つちのえとら15)5月5日ー1883(明治16)年 癸未(みずのとひつじ20)3月14日没(64歳)は、ドイツ・プロイセン王国出身の哲学者・思想家・経済学者・革命家。社会主義および労働運動に強い影響を与えました。フリードリヒ・エンゲルの協力を得て、マルクス主義(科学的社会主義)を提唱しました。

経歴

 マルクスはユダヤ教のラビ職(ユダヤ教の宗教的指導者)であり弁護士の父とオランダ出身のユダヤ教徒の母との間にドイツのトリーアで次男として生まれました。兄が夭折したため、マルクスが事実上の長男として育ちました。

ドイツ トリーア

 1835年10月、ボン大学に入学。法学・文学・歴史を学びました。1836年10月にベルリン大学に転校。哲学に強い関心を示しました。ヘーゲル左派の思想に傾倒していきました。

ボン大学
ベルリン大学

 1841年4月15日、マルクスが23歳の時にイェーナ大学から哲学博士号を授与されました。大学教授になる夢を抱いていましたが、プロセイン政府による思想弾圧により、大学教授職と官職も絶望的となりました。

イェーナ大学

 マルクスは1842年5月に、ボン(後にケルン)へ移住し、ヘスやバウアーの推薦で『ライン新聞』に参加し、論文を寄稿するようになりました。同年10月にライン新聞対して当局は反政府・無神論的傾向を大幅に減少させなければ翌年以降の認可は出せない旨を通達した。編集長は解任され、マルクスが編集長となりました。しかし1943年3月に『ライン新聞』は廃刊となりました。

ライン新聞

 『ライン新聞』を潰されてマルクスはむしろすっきりしたようです。ルーゲへの手紙の中で「結局のところ政府が私に自由を返してくれたのだ」と政府に感謝さえしておりました。『ライン新聞』編集長として様々な時事問題に携わったことで自分の知識(特に経済)の欠如を痛感し、再勉強に集中する必要性を感じておりました。

 マルクスは『独仏年誌』に寄稿された論文のうち、エンゲルスの『国民経済学批判大綱(Umrisse zu einer Kritik der Nationalökonomie)』に強い感銘を受けました。エンゲルスは、アダム・スミス、リカード、セイなどの、「古典派経済学」を批判しました。

 エンゲルスに感化されたマルクスは、経済学や社会主義、フランス革命についての研究を本格的に行うようになりました。

 マルクスは、1849年8月27日に船に乗り、イギリスに入国しました。ロンドンの大英博物館に行き、そこで朝9時から夜7時までひたすら勉強しました。生計はエンゲルスからの仕送りでした。

 マルクスは不健康生活のせいで以前から病気がちでしたが、1873年に肝臓肥大という深刻な診断を受けました。パリからロンドンへ帰国した後の1881年12月2日に妻イェニーに先立たれました。マルクスの悲しみは深かく、「私は病気から回復したが、精神的には妻の死によって、肉体的には肋膜と気管支の興奮が増したままであるため、ますます弱ってしまった」と語りました。

 1883年1月12日に長女イェニーが病死しました。その翌日にロンドンに帰ったマルクスでしたが、すぐにも娘の後を追うことになりました。3月14日昼頃椅子に座ったまま死去しているのが発見されました。64歳の波乱万丈な生涯でした。

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著作

マルクス・エンゲルス 共産党宣言 

経済学批判

資本論

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カール・マルクスKarl Marx)のサイン

カール・マルクスのサイン

マリ・エスプリ・レオン・ワルラス( Marie Esprit Léon Walras 

レオン・ワルラス

概要

 マリ・エスプリ・レオン・ワルラス( Marie Esprit Léon Walras 、1834(天保5)年 甲午(きのえうま31)12月16日生ー1910(明治43)年 庚戌(かのえいぬ47)1月5日没(75歳)は、スイスのローザンヌ・アカデミー(後のローザンヌ大学)の経済学者です。ヨーゼフ・シュンペーターは「すべての経済学者の中で最も偉大」と評しました。経済学的分析に数学的手法を積極的に活用し、一般均衡論を最初に定式化しました。

ローザンヌ大学

経歴

 ワルラスは1834年、フランスのエヴルーに生まれました。パリ国立高等鉱業学校に入学しましたが、この学校の実学指向の強さを嫌い、文学に傾倒して二年留年し中退しました。その後、父の説得を受け入れて、経済学研究を始めました。経済雑誌記者、鉄道会社の事務員等職を転々とし、レオン・セイ(ジャン=バティスト・セイ(セイの法則)の孫、財務大臣などを務める)と、協同組合割引銀行を設立しその理事となりました。この事業は、ワルラスの反対にも拘わらず、消費協同組合に過剰融資を行い、行き詰まって倒産しました。事後処理のために管財人の銀行に雇われ、その間にローザンヌで開かれた租税会議の論文コンクールに応募し、4位に入選しました。

 36歳の時、租税会議で彼に注目していたルショネーに誘われ、スイス、ヴォー州に完成したローザンヌ・アカデミー(後のローザンヌ大学)の新設に際して募集された経済学教授採用試験に応募しました。ダメット教授、ルショネーの賛成を得て、合格しました。一年の仮採用の後、初代教授となりました。

 彼の理論は、数学の利用がよく理解されず、難解とされ、その重要性は長い間認められませんでした。その後、ワルラスの理論は、徐々に広がっていきました。ワルラスの最大の著作である『純粋経済学要論』(Eléments d’économie politique pure, ou théorie de la richesse sociale)は1874年に上巻が、1877年に下巻が出版されました。1892年に教授職を退き、1910年、モントレーの近くのクラレンスで死去しました。

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著作

純粋経済学要論―社会的富の理論

純粋経済学要論 01 上巻

 

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ジョン・メイナード・ケインズ(John Maynard Keynes)

概要

 ジョン・メイナード・ケインズ(John Maynard Keynes)1883(明治16)年 癸未(みずのとひつじ20)6月5日生ー 1946(昭和21)年 丙戌(ひのえいぬ23)4月21日没(62歳)は、イギリスの経済学者、官僚。イングランド、ケンブリッジ出身。経済学者の代表的存在です。経済学の大家アルフレッド・マーシャルの弟子であり、論敵アーサー。セシル・ピグーとは兄弟弟子でありました。

経歴

 ケインズは、父ジョン・ネブィル・ケインズ(ケンブリッジ大学の経済学者)と母フローレンスの間に生まれました。1905年ケンブリッジ大学キングス・カレッジを卒業。卒業後3年間インド省に勤務しました。

ケンブリッジ大学キングス・カレッジ

 1909年、ケンブリッジ大学のフェローとなり、金融論を担当しました。1915年、大蔵省に勤務して、「パリ講和会議」の大蔵省主席代表となりました。

 第一次世界大戦(1914年7月28日ー1918年11月11日)後、イギリスの金本位制度復帰問題について反対して、管理通貨制度(通貨量を金保有量の増減で決定することを停止して、通貨管理当局の自由な裁量によって調節する制度)を主張しました。

 1936年に『雇用・利子および貨幣の一般理論(The General Theory of Employment,Interest,and Money 1936』を著作しました。当時の古典派経済学では、市場は自律的に調整されるため、最終的あるいは長期的には失業は存在しないとされていました。しかし、現実には、1929年の世界恐慌は、未曽有の大量失業が発生し、古典派経済学理論と現実との乖離が指摘されてきました。ケインズは、一般理論で「需要によって生産水準が決定され、それが失業を発生させる」ことを明らかにして、経済状況を改善し、失業を解消するために、政府による財政政策及び金融政策などさまざまな面からの政策の必要性を説き、その理論的根拠を与えました。

 ケインズは、大不況下では、金融政策は効果的ではなく、消費を直接的に増やす財政支出政策が最も効果があると主張しました。ケインズの有効需要創出の理論は、大恐慌に苦しむアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領によるニューディール政策の強力な後ろ盾となりました。

ニューディール政策

 ケインズは投資家としても成功しており、株式投資を「美人コンテスト」に例え、「個々の判断に基づく投資より投資家集団の好みを考慮すべきである」と言っております。

 1945年心臓発作で倒れ、1946年4月21日サセックス州ファールで没しまた。経済学を変革した62年の生涯でした。

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著作

ケインズ 貨幣論: 貨幣の性質・貨幣の価値 Kindle版

ジョン・メイナード・ケインズ (著), 鬼頭仁三郎 (翻訳)  形式: Kindle版

Keynes’s the General Theory of Employment, Interest, and Money: A Concordance ハードカバー – 1991/10/28

雇用・利子および貨幣の一般理論 (日本語) 単行本 – 1995/3/1

J.M. ケインズ (著), J.M. Keynes (原著), 塩野谷 祐一 (翻訳)

雇用、利子および貨幣の一般理論〈上〉 (岩波文庫) (日本語) 文庫 – 2008/1/16

ケインズ  (著), 間宮 陽介 (翻訳)

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ヨーゼフ・アロイス・シュンペーター(Joseph Alois Schumpeter)

ヨーゼフ・アロイス・シュンペーター

概要

 ヨーゼフ・アロイス・シュンペーター(Joseph Alois Schumpeter)1883(明治16)年 癸未(みずのとひつじ20)2月8日生ー 1950(昭和25)年 庚寅(かのえとら27)1月8日没(66歳)は、オーストリア・ハンガリー帝国(後のチェコ)生まれの経済学者です。

経歴

 モラヴィアのトリーシュにドイツ系の家庭に生まれました。1901年にウイーン大学法学部に進学。1906年ウイーン大学で法学博士号を取得しました。1908年に『理論経済学の本質と主要内容』発表しました。1911年グラーツ大学教授に就任。1912年『経済発展の理論』発表しました。

 1913年、アメリカ合衆国のコロンビア大学から客員教授として招聘され名誉博士号を受けました。1919年オーストリア共和国の大蔵大臣就任。同年辞職しました。1921年、ビーダーマン銀行の頭取に就任。1924年、同銀行が経営危機に陥ったため、頭取を解任され、巨額の借金を負いました。

コロンビア大学

 1925年ボン大学教授に就任。1927年ハーバード大学の客員教授に就任。1932年に同大学生教授に就任。この間、1931年に来日しました。1939年、『景気循環の理論』発表。1942年、『資本主義・社会主義・民主主義』発表しました。

ボン大学
ハーバード大学

 シュンペーターは一般均衡理論を古典派経済学者が、「最適配分」とらえているのに対し、「沈滞」として考えました。シュンペーターはイノベーション(技術革新)という概念を用いて、「企業者は創造的破壊をおこし続けて生き延びていく」と提唱しました。

 シュンペーターはイノベーションの類型として、1.「新しい財貨の生産」2.「新しい生産方法の導入」3.「新しい販売先の開拓」4.「原料あるいは半製品の新しい供給源の獲得」5.「新しい組織の実現(独占の形成やその打破)」この5種類を上げてます。

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著作

シュンペーター 経済発展の理論(初版)

日経BPクラシックス 資本主義、社会主義、民主主義 1

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ジョン・ケネス・ガルブレイス

ジョン・ケネス・ガルブレイス

概要

 ジョン・ケネス・ガルブレイス(John Kenneth Galbraith、1908(明治41)年 戊申(つちのえさる45)10月15日生ー2006(平成28)年 丙申(ひのえさる33)4月29日没(97歳)は、カナダ出身の制度派経済学者です。ハーバード大学名誉教授。

経歴

 ガルブレイスはカナダ・オンタリオ州・アイオナ・ステーションに農家の子供として生まれました。1931(昭和6)年、オンタリオ農業大学(当時はトロント大学の系列校、現ゲルフ大学)にて学士取得、カルフォルニア大学バークレー校にて修士号(1933(昭和8)年を取得。1934(昭和9)年博士号を取得しました。1937(昭和12)年、米国市民権を取得しました。

ゲルフ大学
カルフォルニア大学バークレー校

 第二次世界大戦の時、ガルブレイスは物価局の副部長でした。インフレ抑制に活躍しました。終戦後、日本の戦後統治に関するアドバイスを務めました。1943(昭和18)年から1948(昭和23)年に「フォーチュン」誌の編集者を務め、1949(昭和24)年に、ハーバード大学経済学部教授に就任しました。

ハーバード大学

 1961(昭和36)年から1963(昭和38)年に、米国駐インド大使に就任。インド政府の経済開発の支援を試みました。1972(昭和47)年に、アメリカ経済学会の会長を務め、1997年に、カナダ勲章を(Officers of the Order of Canada)を受勲しました。

カナダ勲章

 2006(平成18)年4月29日、老衰のため米国マサチューセッツ州の病院で死去しました。97歳の生涯でした。

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著作

不確実性の時代 (講談社学術文庫)

大暴落1929 (日経BPクラシックス)

ゆたかな社会 決定版 (岩波現代文庫)

[新版] バブルの物語

満足の文化 (ちくま学芸文庫)

不平等――誰もが知っておくべきこと

アメリカの資本主義

経済学の歴史―いま時代と思想を見直す

ガルブレイスの大恐慌 (徳間文庫―教養シリーズ)

新しい産業国家 (上) (講談社文庫)

ガルブレイスわが人生を語る

日本経済への最後の警告

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ポール・アンソニー・サミュエルソン

ポール・アンソニー・サミュエルソン

概要

 ポール・アンソニー・サミュエルソン(Paul Anthony Samuelson、1915(大正4)年 乙卯(きのとう52)5月15日生ー2009(平成21)年 己丑(つちのとうし26)12月13日没(94歳)は、アメリカ合衆国の経済学者です。顕示選好の弱公理、ストルパー=サミュエルソンの定理、サミュエルソン=ヒックスの乗数・加速度モデル、バーグソン=サミュエルソン型社会厚生関数、新古典派総合などで知られてます。第1回ジョン・ベイツ・クラーク賞受賞(1947年)、第2回ノーベル経済学賞受賞(1970年)を受賞しました。

経歴

 1915年にインディアナ州ゲーリーのユダヤ人家庭に生まれました。大恐慌の最中であった1932年に16歳でシカゴ大学入学、1935年に卒業しました。その後、1936年にハーバード大学大学院に進学し、1941年に博士号を取得しました。シカゴ大学でシカゴ学派から価格理論を学び、ハーバード大学で数学と物理学を学びました。この学問がサミュエルソンの理論的性格を方向付けたと言われます。学位取得に先立ち、マサチューセッツ工科大学(Massachusetts Institute of Technology:MIT)で教鞭を執り、1944年に准教授、1947年に教授となりました。

シカゴ大学
ハーバード大学
マサチューセッツ工科大学(MIT)

 23歳の時に書かれた処女論文「消費者行動の純粋理論ノート」(『エコノミカ』所収)において、需要曲線が限界効用理論の助けを借りなくても、市場で観察可能な購入のみに「顕示された」選好から引き出せることを示しました(顕示選好理論)。

 著書『経済学(Economics: An Introductory Analysis)』(初版は1948年出版)において、「不完全雇用時にはケインズ的介入を行うべきであるが、ひとたび完全雇用に達すれば新古典派理論がその真価を発揮する」という新古典派総合を主張し、新古典派ミクロ経済学とケインズ主義マクロ経済学の関係性についての見解を示しました。なお、本書は経済学の教科書として全世界で一千万部を超えるベストセラーとなっております。

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著作

サムエルソン 経済学 上下巻セット 単行本

都留重人 (翻訳)

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サムエルソン 経済学〈上〉 (日本語) 単行本 – 1992/5/15
P.A. サムエルソン (著), W.D. ノードハウス (著), Paul A. Samuelson (原著), & 2 その他

サムエルソン 経済学〈下〉 (日本語) 単行本 – 1993/6/29
P.A. サムエルソン (著), W.D. ノードハウス (著), Paul A. Samuelson (原著), & 2 その他

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あとがき

 私は1997年に経済学部の専門課程で、ケインズの「貨幣論」と「一般理論」をゼミで学びました。1997年当時の主流経済学はミルトン・フリードマンの学説でした。経済学の教科書はポール・アンソニー・サミュエルソンの「ECONOMICS」で、大部分の学生がこの著書で勉強してました。1977年はスミスの国富論出版から201年、マルクスの資本論出版から110年、ケインズの一般理論出版から41年経っていました。

 1971年8月の「ドルショック」により、経済学の理論が「ケインズ経済学」、「新古典派経済学」、「新古典派総合学派」のいずれを選択すべきか正解が分からない状況でした。新しい経済現象のスタグフレーションの解決の処方箋として、新経済理論がまだ登場しておりませんでした。

 2020年1月、世界は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行により、1929年の世界恐慌と同程度の経済状況となる予測を、米連邦準備理事会(FRB)のパウエル議長が2020年5月17日の米テレビ番組で「米経済の完全復元には時間がかかる。FRBとともに議会も追加策が必要だ」と述べております。

 今回の経済状況を打破する為の政策として現在、金融緩和策を採用しておりますが、「ケインズ経済学」の公共投資による失業者の救済と新型コロナウイルスのワクチン開発と新薬の開発(経済と医学のイノベーションが)必要になると考えます。

 本書は世界8人の偉大な経済学者の概要と経歴と著作が、新時代に繋がるヒントが隠されているのではないかと考えて執筆しました。本書執筆にあたり、インターネット上の画像とフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の記事を参照しました。お礼申し上げます。

2020年5月30日 午前9時 自宅書斎にて 下総俊春